2024年7月12日金曜日

知る事の大切さ


時は1769年に遡る。


1769年6月3日に地球と太陽の間を通過する予定だった金星の太陽面通過を観測するためのタヒチへの遠征をイギリス国王ジョージ3世が承諾したところから始まる。


その航海には本来、有名な地理学者で天文学者のアレクサンダーダルリンプルを

指名したが、航海知識が乏しかった為、

代理でジェームス・クック

〝キャプテン・クック〟が同行した。


タヒチへの航海で芸術大好きな科学者ジェセフ・バンクスが

1771年その時のポリネシアのタトゥーの過程を記述した。

バンクスは日記の中でデザインや用途、

タヒチの人々がなぜそれほどの苦痛に耐えるのか、

本当に不思議に思った事を記していた。


クックの船員はポロネシアの伝統に魅了され、

芸術を学んだ。これをきっかけに

船内でのタトゥーが始まったわけなのです。


キャプテン・クックは1774年に再度タヒチへ戻り

現地民であったオマイという男性を連れて本国に戻った。

オマイの身体に入ってるタトゥーは人々を釘つけにし、

オマイは富裕層や民衆に囲まれ時を過ごし、

1776年帰国した。


そして、その後の航海日誌にクックは

次の様に言葉を残した。


〝サンドイッチ諸島(ハワイ)に上陸した時、

住民はタヒチ人より肌が黒かったが、似た様な言語を話し、

男性は様々な刺青を入れているハンサムな人種だった事に驚いた〟と。

これがクックによるタトゥーについて言及された

最後の言葉であった。


1779年。

ハワイの住民に殺され、クックの人生に幕が下りた。


約250年の時を経て、タトゥーの歴史として

語り継ながれる人生。

トラディショナルの始まるきっかけにもなった

出来事でもある。




…ちなみにその時、日本は江戸時代🇯🇵

2024年6月22日土曜日

THE TRADITIONAL🌹


今日はドーンっと
一目で遠くから見てもトラディショナル🌹


TATTOOED BY MAKI

今後、増やす事になっても続けられるような入れ方です😊
トラディショナルは見せる文化🌹

痛い場所、おつかれさまでした😊
ありがとうございました!


2024年6月21日金曜日

7年ぶりにブログ復活☺️

初めまして😊インクラットタトゥーのマキです。

7年ぶりにブログを復活致しました!
日々のインクラット日記とトラディショナルの歴史や背景・伝統を織り交ぜながら、今の時代まで継がれてきた物語をご紹介していきたいと思います🌹
そんな今日…😊

主張するアメリカン🌹🦅コイルのタトゥーマシン tattooed by Rei
スリーブ仕上ってきました😊お疲れさまでした

ブログは日々更新の予定でおります♫お楽しみに😊

2017年9月6日水曜日

Tony P


4日前、
ニューヨークでアメリカントラディショナルタトゥーの
レジェンド、トニーPが亡くなりました。

現役で残っている数少ないレジェンドでした。

心よりご冥福をお祈りします。


2017年2月1日水曜日

Lewis Alberts


以前紹介した

現在使われているコイル式マシンを

開発した、


その彼と共に働いていたもう1人の

アメリカンタトゥーの立役者、

ルイス・アルバーツ。

"Lew the joe" Alberts(1880-1954)

彼は1899年に軍隊に入隊し

米西戦争でフィリピンで戦い、

その間にタトゥーを学びます。

帰国後、


タトゥーを始めます!

若かりしころ壁紙デザイナーをしていた事も

あってフラッシュを大量に描いていました。

その後、チャーリーと共に働き、

(当時の名刺)

フラッシュやタトゥーマシンを沢山売り、

アメリカンタトゥーを広げていきました!

(彼の描く絵は当時でも独特だったと思います)

Tattoo by Alberts

そして1920年代後半にニュージャージーに移り、

セミリタイヤし、

1854年、74歳で亡くなります。

Tattoo by Wagner&Alberts

彼もまたアメリカンタトゥーに

多大な影響を与えた1人でした。



2016年10月25日火曜日

Red & Artoria Gibbons



久しぶりの伝説的アーティストのご紹介。

今回はレッド・ギボンズです。

Red Gibbons(1879-1964)

彼の生い立ちや自身の写真などはほとんどありませんが、

妻のアルトリアについては多くの詳細や写真が残ってます。

Artoria Gibbons(1893-1985)

二人はワシントンで出会い1912年に結婚し、

カリフォルニアに移住します。

その後、もっと稼ぐにはどうしたらいいか二人で考え、

アルトリアをサーカスのパフォーマーにするために

全身にタトゥーを彫り始めます。

そして1920年代にはタトゥーレディーとして1番人気に!


彼女は敬虔なキリスト教徒でしたので

数多くの宗教的デザインが彫られています。

当時としてはとても繊細で芸術的なタッチで

描いていたのでアルトリアの人気とともに

レッドの評価も上がっていったそうです。

 Tattoo by Red Gibbons

 しかしレッドは1940年に強盗に襲われ、

さらにそのあと事故にも合い、

1946年、それが原因で失明してしまいます。

アルトリアは仕事を辞め、

失意のどん底にいた彼の介護に専念します。

そして1964年、レッドは亡くなりますが、

彼が亡くなった後もタトゥーレディとして

1981年まで活躍し続けます!

 (晩年のアルトリア)
 
彼女の全身のタトゥーは一緒に力を合わせて

生きてきた二人の愛の証。

凛とした雰囲気の中に

力強さと愛が満ちあふれてます!







2016年7月11日月曜日

Creed


何度かこのブログで紹介してきた

レイの敬愛する彫師、


ストーニー(1912-1980)

好きすぎて

以前オリジナルで

Tシャツまで作りました。


このバックにプリントされてる文章は

当時のお店に貼ってあった

彼の信条です。


"わたくし、

レオナルド”ストーニー”セントクレアは

ご自身の肉体に

なにがしの装飾を施すことを選ばれた

希少な顧客様のための仕事を

生業としております。”


と書かれています。

謙虚かつ誠実さが伝わる

簡潔な文章。


ストーニーは4歳で間接リウマチなり、

生涯車いすの生活を送りました。

下半身だけでなく手の指も不自由だったそうです。

その人生の中で

彼は人に敬意をもって接すれば、

自分も同じように接してもらえる事を

学びます。

多くの苦しみや困難を乗り越えて来た彼のお店は

当時、ピリピリとした怖い雰囲気のお店ばかりのだったのに対し

誰かの家に来たような

冗談が飛び交う雰囲気だったそうです。

そして彼の笑顔は力強さと深い愛情に満ちあふれていました!