2016年7月11日月曜日

Creed


何度かこのブログで紹介してきた

レイの敬愛する彫師、


ストーニー(1912-1980)

好きすぎて

以前オリジナルで

Tシャツまで作りました。


このバックにプリントされてる文章は

当時のお店に貼ってあった

彼の信条です。


"わたくし、

レオナルド”ストーニー”セントクレアは

ご自身の肉体に

なにがしの装飾を施すことを選ばれた

希少な顧客様のための仕事を

生業としております。”


と書かれています。

謙虚かつ誠実さが伝わる

簡潔な文章。


ストーニーは4歳で間接リウマチなり、

生涯車いすの生活を送りました。

下半身だけでなく手の指も不自由だったそうです。

その人生の中で

彼は人に敬意をもって接すれば、

自分も同じように接してもらえる事を

学びます。

多くの苦しみや困難を乗り越えて来た彼のお店は

当時、ピリピリとした怖い雰囲気のお店ばかりのだったのに対し

誰かの家に来たような

冗談が飛び交う雰囲気だったそうです。

そして彼の笑顔は力強さと深い愛情に満ちあふれていました!





2016年6月14日火曜日

Gus Wagner


今回ご紹介するのは

前回紹介したSamuel O'Reilly

並ぶアメリカでもっとも古い彫師の1人、

 ガス・ワグナーです!

Gus Wagner(1872-1941)

1897年からの4年間、

彼は貨物船の船員として働きます。

その間世界各地を周り、

ボルネオで伝統的な手彫りを

習ったのがルーツだそうです。

1901年までには既に

246個のタトゥーを入れていたそう。

そしてアメリカに戻って旅する彫師、

サーカスのパフォーマーとして

活躍します!

1904年、結婚。

彼女もGusに教えてもらい、

アメリカでは初の

女性彫師として知られています。

Maud Wagner(1877-1961)

身体に入ってるタトゥーはもちろん

すべてGusによるものです。(手彫り!)

この写真は1900年代のものですが、

最近の写真再生技術はすごいですね。

そしてさらに娘のLovettaも

彫師であり、サーカスパフォーマーでした。

(母Maudの写真を持つLovetta、1993年)

驚いたのは彼女、彫師なのにタトゥーが

ひとつも見当たりません!

(Gus,Maud,Lovetta,タトゥーエリート一家です。)

前回でも書きましたが、

1890年代にSamuel O'Reillyによって

タトゥーマシンが開発され

主流になりましたが、

Gusは手彫りにこだわり続けていたそうです!

(Maudに手彫りをするGus)

”アメリカでもっとも多く芸術的なタトゥーを持つ男”

”世界を旅する刺青男”

”手彫りのワールドチャンピオン”

などなど数々の異名を持っていました。

そんな彼の最後は

なんと雷に打たれて亡くなったそうです。

最後までエキセントリック!

Tattoo flash by Gus Wagner




2016年4月27日水曜日

Samuel O'Reilly


今回は前回紹介した


の先生、

サミュエル・オライリーです。

Samuel O'Reilly(1854-1909)

ニューヨークでタトゥーを

初めたのが1880年代前半。

今から130年以上も前!

アメリカン・オールドスクールの

原点とも言えるお方です。

そんな彼も

若い時には強盗などの罪で

刑務所にも入っていました。

そして1891年、

トーマス・エジソンの発明した

自動印刷ペンを元に

ローターリー式のタトゥーマシンを開発、

アメリカで初めて

タトゥーマシンの特許を取得します!!!

(当時の設計図)

これにより飛躍的に技術が上がり

一躍有名になり、

サーカス団の人達や他のお客さんで

賑わっていたそうです。

最終的にはニューヨークで2つのお店を経営。

有名になったお店のほうは床屋の奥で

少し大きめのクローゼットほどだったそうです。

順風満帆な生活でしたが、

1909年、

自宅の外壁を塗装中、足場から落ちて

亡くなります。

彼の死後はチャーリー・ワグナーが

1953年までお店を続けました。

ここまで古いと

作品の写真が全然ありませんが、

少し見つけましたので

ご覧下さい!








2016年2月24日水曜日

Charlie Wagner


少し前のブログで

オールドスクールのアーティスト紹介の

まとめを載せましたが、

今回はその中でもさらに古いこの方。

Charlie Wagner(1875-1953)

チャーリー・ワグナーです。

アメリカンタトゥーの黄金時代を作った

1人であり、

ニューヨークのバワリー街で

1890年代から50年以上も

活躍し続けました。

そして最もタトゥーの世界に貢献した事は

現在使われているコイル式タトゥーマシンの

開発をした事です!

サミュエル・オライリーが1891年、

最初のタトゥーマシンの特許を取得します。

ワグナーはそれを改良し、

1904年、

現在の形となるタトゥーマシンの

特許を取得しました。

それから100年以上経っても

コイル式のタトゥーマシンは

変わっていません!

すばらしい!

さらに昔のアーティストは

あまり写真が残っていませんが、

ワグナーは珍しくありましたので

いくつか紹介したいと思います。

ワグナーのお店。

当時のニューヨークのタトゥーショップは

散髪屋さんといっしょにやっている事が

多かったそうです。

そしてワグナーの作品。

さらにワグナーとお客さん。

当時の写真を見て

オールドスクールの力強さや魅力が

少しでも伝わればと思います!!!







2015年8月11日火曜日

Roundup


今まで

アメリカン・オールドスクールのアーティストを

何名か載せてきましが、

今回は見てなかった方に

まとめてご紹介しようと思います!


BEN CORDAY(1875-1938)
ベン・コーディ

イギリス生まれ、

37歳の時にアメリカに移住、タトゥーを始める。

身体が大きい事でも有名でついたあだ名が

ビッグ・ベン。
タトゥーを彫り、フラッシュを沢山描き、

毎日大酒をむ毎日。
パーシー・ウォーターズにも原画を沢山

売ったそうです。



PERCY WATERS(1888-1952)
パーシー・ウォーターズ

サーカスを観に行った時にタトゥーと出会う。

最終的にはタトゥーショップを2軒、

タトゥーサプライも経営し、

ビジネスマンとしても成功します。

絵がかわいいのが特徴的です。




OWEN JENSEN(1891-1976)
オーウェン・ジェンセン

この方もサーカスでタトゥーと出会います。

巨漢でも有名だったタトゥーアーティストの

Dainty Dottyが奥さん。
Dainty Dotty

最後はロングビーチのパイク(遊園地)にあった

バート・グリムのお店の近くでリー・ロイと共に

働いていました。

パイクの治安が悪くなり、仕事中に強盗に襲われ、

その怪我が原因で亡くなります。



BERT GRIMM(1900-1985)
バート・グリム

16歳位から本格的にタトゥーを始める。

サーカス団に参加して腕を磨き、

最後はパイクにお店を出します。

Bob Shawに彫った全身のタトゥーが素晴らしい。
Bob Shaw

70歳の時、お店をボブ・ショウに売り、

田舎に移り住み、

病気になるまでタトゥーを彫り続けていたそうです。



PAUL ROGERS(1905-1990)
ポール・ロジャース

23歳からタトゥーを始め、

やっぱりサーカス団でキャリアを積み、

56年もの間、現役で活躍します。

未だに彼のモデルのタトゥーマシンは世界中で

使われています。
ストーニー曰く、

偉大なアーティストの1人で

皆に親切で伝統を尊重し、仲間を大切にする

とても謙虚な人だったそうです。

まさにオールド・スクールです。


LEE ROY MINUGH(1911-1994)
リー・ロイ・ミヌフ

13歳の時に家を飛び出し、

彼もサーカス団で腕を磨きます。

当時、カスタムタトゥーが殆どなかった時代に

フリーハンドでカスタムタトゥーをしていたそうです。

サイドショーの曲芸師キャプテン・ドンの

背中のタトゥーは彼によるものです。
Capt. Don Leslie

最後はパイクに移り、

オーウェン・ジェンセンと共に働いていました。



STONEY ST. CLAIR(1912-1980)
ストーニー

最後はレイの最も敬愛するストーニー。

幼少のころから車いすの生活で、

15歳からサーカスのサイドショーに

出演していましたが、

絵の才能を認められ、

16歳からサーカス団でタトゥーを始めます。

最終的にオハイオ州でお店をオープン。
力強い笑い声がとても印象的です。

身体のハンディをものともせず、

強く、そして人生を楽しんできた証拠です。

彼の彫るタトゥーには愛とパワーが

満ちあふれています!


今回紹介した方達は同じ時代を生き、

どこかで繋がり、お互いを尊敬し、刺激を受けながら

腕を磨いていたと思います。

黄金の時代です!

今後もまた偉大なアーティストを

紹介していきたいと思います!




2015年5月28日木曜日

Ben Corday


今回は今まで紹介してきた

アーティストとはちょっと違う、

異色の経歴を持つ

ベン・コーディです。
Ben Corday(1875-1938)

生まれは諸説ありますが、イギリス人なので

イギリスのランカシャーが有力とされています。

14歳の時に船乗りになり、

そのあと軍隊に入隊、

南アフリカの第二次ボーア戦争で戦った後、

軍隊を辞め、

1912年に市民権を得てアメリカに移住します。

アメリカに移住した後にタトゥーを

始めてるので、37歳。

当時としてはかなり遅咲きですね。

タトゥーだけでは無く、レスラーや俳優も

やっていたそうです。

彼は身体が大きいとゆう事でも有名でした。
かなりデカイですね。

ついたあだ名がビッグ・ベン。

そのままです。笑

資料によると身長2m、体重135kq

あったそうです。

彼は当時沢山のフラッシュを描いていたそうで、

あのパーシー・ウォーターズにも

原画を沢山売ったそうです。

また彼の有名な作品に、

若い女性に大胆にドラゴンを彫った写真があります。
この写真は当時、

複製されて無数のタトゥーショップに

飾られてました。

レイの敬愛するストーニーのお店にも

飾ってあり、

ストーニーはこの女性がベンの奥さんだと主張、

ベンと1930年代にサーカスで働き、

このドラゴンのタトゥーの完成を手伝ったと言っていました。

しかしタトゥーアーティストのライル・タートル曰く、

ストーニーはとても賞賛に値する人物でしたが、

また時にいい意味ででたらめな人とゆう事もあって、

この話は本当かどうかさだかではありません。

セイラー・ジェリーもこのドラゴンに

影響され、ドラゴンを描いたそうです。


ベンの作品は
繊細なラインで優しさのあるもの

でしたが、バート・グリムと出会ってから

力強いラインでよりシンプルな作品に

変わっていったそうです。


バートはベンについて、

彼は当時、

フラッシュを売り、そのお金で大酒を飲み、

また稼ぎ、お酒を飲むとゆうのを

繰り返していたそうです。


そして資金が尽きたころ、

ロサンゼルスに最後のお店をオープンします。

そして

1938年、自宅で睡眠中に亡くなりました。


皆さん、色んなところで繋がり、

影響し合っています。

お互いを尊敬しあってるからこそ出来る事ですね。

ベンもまたアメリカン・オールドスクールの基礎に

多大な影響を与えたアーティストの

1人です。








2015年4月13日月曜日

Capt. Don Leslie


アメリカンオールドスクールと

サーカスは切っても切れない関係にあります。

今まで紹介したタトゥーアーティストの方々も

始めはサーカスでタトゥーの腕を磨いています。

そのサーカスで

Mr. sideshowと呼ばれていた人が居ます。
Capt. don Lesile(1937-2007)

キャプテン. ドン・レスリーです。

彼はタトゥーアーティストではなく、

タトゥーを全身に見にまとい、

長ーい剣や炎を呑み込む

サイドショーの曲芸師です。

レイの敬愛するストーニーもまた

タトゥーアーティストになる前は

サーカスで剣を呑み込むショーを

していました。

彼は沢山のアーティストに彫ってもらってますが、

背中のRock Of Agesは
前々回紹介したリー・ロイによるものです!

彼は16歳で炎を、

18歳で剣を呑み込み始めます。

その他にも色んなものを呑み込んだり、

脱出や、割れたガラスのベッドで寝たりと

様々なショーをして観客を湧かせていました。

42年間もの間、

色んなサーカス団や海外にも出向き、

劇場などでもショーをしていました。
晩年のドン。

渋いです!!!

炎を呑み込む時に使ったガソリンが原因で

ガンになり

2007年6月7日、

70歳でサーカスとタトゥーの人生に

幕を閉じました。


最後は映像でお楽しみ下さい!